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学習知っ得情報

日本人は英会話の審査員

なぜ日本人は英会話が上達しないのでしょう。その原因は国民性にあります。

体験談からお話しましょう。高校のとき、学校からの帰りの電車の中で2人のサラリーマンらしきおじさんが英会話の練習をしていることに気がつきました。何か面白そうなので、近づいて耳を澄まして聞いてみましたが、朝何時に起きて、職場に何時に着き、何時に出るかなどの簡単な日常会話でした。カタカナ式のたどたどしい英語だとその時の私にもわかりました。「このおっちゃんら、その英語でよく人前で話せるなあ」と生意気なことを思っていました。

特別な英語教育を受けていない方でも、メディアや英米の映画などに普段から英語の音声に接していて、母語話者がどのような話し方をするのか馴染みがあることでしょう。つまり、話せなくても日本人は英会話については、耳が肥えていて国民全体が評論家、審査員になっているということなのです。まだ本格的にいわゆる英会話の練習を始めていなかった私自身も、もうすでに他の学習者の「英会話審査員」になっていたのでした。

英会話のおじさんたちのことに話を戻しますが、その方たちはその後きっと英語で立派にコミュニケーションができるようになられたと想像しています。といいますのは、都会の通勤電車という「英会話審査員団」のダンボ状態の耳に囲まれた中で堂々と練習されていたからです。外国語の会話は、とにかく口に出して、間違いを気にせず、試行錯誤を繰り返しながら訓練することで上達するのです。

とかく日本人は人にどのように見られているかを気にする国民性を有しています

かつてアメリカの文化人類学者で日本人の国民性を分析した、ルース・ベネディクトは、日本の文化は「恥の文化」と定義づけています。つまり、周りの人の目を気にかけ、日本人の間で通用している行動・思考規範に反したことをしたり、言ったりすると「恥」になるという考えがあるということです。人のやっていることを見てから行動し、あるいは顔色を見て自分の意見を言う。発言する場合も日本文化の中で常識と定められている枠から出ると恥ずかしいので、意識的に無難なことしか言えないといったことがあるでしょう。

こうしたことに輪をかけているのが、学校での主要科目の一環としての英語の神聖化です。数学や物理のように難解な公式を使い、国語の論述式問題に出てくるような難解な語彙を駆使し、また音楽のような美しい響きを持たせて満点の英語を話すのでなければ、かっこ悪いといった心理が働いてしまいます。英語は外国語であり、一つの意思疎通のツールなのですから格好よく流暢に話せる必要はありません。他の非英語国民は訛っていても、間違っていても単なる道具として英語を使っています。

こうした完璧信仰と周りにいる「英会話警察」の呪縛から自由になりましょう。

以前、大学の英語通訳演習の授業に、スペイン語学科の受講生がいましたが、スペイン語を話すのは英語ほど心的プレッシャーがないと言っていました。これは、正に文法や語彙、発音など「スペイン語警察の警備」が英語に比べはるかに手薄だからなのです。

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